【書評】宮田由紀夫 著『暴走するアメリカ大学スポーツの経済学』
IDE 現代の高等教育 No.592 p.68 より
動きが急である。
2016年6月の日本再興戦略において、「日本の大学等が持つスポーツ資源の潜在力をいかすとともに、適切な組織運営管理や健全な大学スポーツビジネスの確立等を目指す大学横断かつ協議横断的統括組織(日本版NCAA)の在り方」について本年度中に結論を得るとされた。それを受けて文部科学省とスポーツ庁は2017年3月、「大学スポーツの振興に関する検討会議(座長・松野博一文部科学相)最終とりまとめ」において、日本版NCAAを2018年度に創設する方針を矢継ぎ早に発表したのである。
確かにここ数年、アマチュアスポーツのマネタイズや大学スポーツの活性化が話題に上っていたが、本格的な議論もそこそこに日本版NCAAの導入ありきで一直線に進む現状には若干の無理を感じずにはいられない。ちなみに日本では誤解している人が多いが、当のアメリカにおいてすら、放映権料や入場料で莫大な利益を大学にもたらすことの可能な大学スポーツはほとんどない。アメリカンフットボールとバスケットボールだけである。市場規模は大きくても野球のようにプロ側にマイナーリーグが確立している競技や、そもそも市場規模が小さい競技では、いくらアメリカでも収益化は厳しい。それどころか実際にはほとんどの競技が赤字で、大学予算からの持ち出しで成り立っていることには留意が必要である。
さて本書はアメリカの大学スポーツの問題点を、アメリカンフットボールとバスケットボールを中心にNCAAの拡大の歴史に沿って、経済学の視点で読み解くものである。現在では世界最大規模の大学体育協会であるNCAA(National Collegiate Athletic Association)は、著者の言葉を借りれば「外部性の内部化と公共財の提供のために組織化」されたものである。設立当初はアメリカンフットボールのルールや選手基準を統一するために作られたものであり、端的に言えばスポーツに関する大学の自治組織であった。本来不正腐敗への対処を目指した自治組織であるNCAAが、収益拡大を目指すカルテルに変質したところに今日起きている問題の源泉が見出される。
何と言っても本書の白眉は、NCAAをカルテル土地らえる考え方を紹介する第2章、第3章である。まず第2章では放映権契約による売手独占カルテルについて考える。NCAAによって当初行われていたアメリカンフットボールにおける放映権一括契約は、反トラスト法裁判の敗訴によって独占が崩壊し、その後は有力カンファレンスが実験を握っていく。実際1980年代の相次ぐ司法判断以降に放映試合数が激増したことから、それまでNCAAによる独占(放映試合数の制限)は明らかであった。一方でバスケットボールについては、当時アメリカンフットボールほど人気がなかったことからレギュラーシーズンについては元からカンファレンスや大学に権利を委ね、NCAAはトーナメントの全国放映権のみを確保していた。NCAAにとっては結果的にこれが功を奏した。バスケットボールのトーナメントの人気は飛躍的に拡大し、比例して増大した放映権は現在(2011~24)では総額108億ドルまで膨れ上がっている。
次に第3章では買手独占カルテルを取り上げる。日本ではしばしば、NCAAが所属選手の成績や入学基準を管理していることを、教育の一環として学生スポーツに取り組む麗しい姿と短絡的に捉える傾向にある。確かにそういった側面もあることにはあるが、NCAAが表面上アマチュアに拘り学生資格を厳格化することには全く別の理由が存在する。競合との競争に勝ち抜きNCAA競技の人気を維持するためには、所属チーム間のバランスや不正の排除によって、競技そのものの魅力の維持向上が不可欠だからだ。さらに言えば選手を労働者(プロ)ではなく学生(アマチュア)とみなすことによって、人気競技から得られる莫大な利益の収入の配分において、選手活動の正当な対価として高額の報酬を支払うのではなく、競技活動を単なる部活動とみなし、学業の一環として僅かな奨学金を支給するのみで済む。度重なる独禁法裁判にもかかわらず、「選手の供給が非弾圧的で、価格が安くても供給が減らず、他に選択肢がない」という状況がNCAAの買手独占を支えているのである。
また第5章では卒業生の子弟を優先するレガシー入学制度のスポーツ推薦に言及する。乗馬やヨットなど裕福な家庭に有利なスポーツをレガシー入学の要件に入れることで、対象となる卒業生や裕福な家庭の子弟の入学を容易にし、結果的に入試制度の偏りへの批判を避けるものだ。日本においても入試改革の流れで総合的入試等と称し、学業が劣っていても面接やその他要件で合格させることがある。「総合的」の陰に隠れる恣意性について、はからずもアメリカの大学スポーツの先行事例を通じて示されている。
本書に描かれたアメリカの大学スポーツの経験を通じて、本家NCAAにおける特定競技を通じた一部の大規模大学や有力カンファレンスへの偏重の歴史や、大学スポーツにおける収益化の弊害やアマチュアリズムの矛盾など、日本版NCAAをつくりさえすれば良いという幻想の危うさが見事に浮かび上がる。本書は学術書であるためスポーツの話を気軽に楽しみたい層には若干堅苦しい側面はあるかもしれないが、それは経済学者として産学連携を専門としてきた著者の学問的誠実性の裏返しである。産業界からはプラス面ばかりが強調され、一方的に議論が過熱している大学スポーツに携わる大学幹部や行政担当者には、冷静な議論のきっかけとしてぜひ本書を活用していただきたい。
江原昭博(関西学院大学教育学部 准教授、世界ソフトボール連盟技術委員/比較教育学・教育経済学 評)
【東信堂 本体価格2,600円】