【書評】永井彰著『ハーバーマスの社会理論体系』

永井彰著『ハーバーマスの社会理論体系』(A5・256頁・¥2800+税)

日本社会学会 社会学評論  第70巻 第1号 2019年7月

 

豊泉周治より

 

ハーバーマスの社会理論あるいはコミュニケーション行為論について、いま、日本の若い世代の社会学者たちは、どれほどの理解と関心をもっているのだろうか。学会報告を見るかぎりでは、研究テーマの核心部分においてハーバーマスに注目する社会学者は著しく減少しているように思われる。1世代前に流行った理想主義的なコミュニケーション論の思想家、といったところが、ハーバーマスの一般的なイメージであろうか。一方、西欧諸国では、2000年以降の世界的な政治的・社会的変動においても、ハーバーマスの理論と発言はつねに注目を集め、今日まで政治文化の1つの準拠点として参照され続けてきた。ハーバーマスを過去の理論のように見る日本の状況は、私たちがハーバーマスから重大な何かを学びそこねてきたのではないかとの危惧をいだかせる。そうした状況のなかで、1世代前からハーバーマスとの格闘を続けてきた社会学者が世に問うたのが、本書である。

 

本書のタイトルにあるハーバーマスの「社会理論体系」とは何を指すのであろうか。端的にはハーバーマスの主著『コミュニケイション的行為の理論』によって基礎づけられた社会理論であり、特にその2つの中間考察において展開された社会的行為論としてのコミュニケーション論、そしてシステムと生活世界という2層の概念を導入した社会論である。それは、いまでは専門外の人も含めて、大方の研究者が「ハーバーマスの社会理論」としてイメージする内容だが、本書の元となった諸論文が執筆された1990年代の当時、それらをどのように理解するかがハーバーマス研究の主要な論点であり、争点であった。すなわち、社会理論のコミュニケーション論的転回とは何か。本書において著者は、2つの中間考察を中心に『コミュニケイション的行為の理論』を「精確に」読み解き、そこで基礎づけられたハーバーマスの社会理論の論理を丹念に跡づけ、その体系性を明らかにしている。ハーバーマス研究のピークがとうに過ぎたのいまの日本で、著者がなぜ「精確に」と強調するのかといえば、ハーバーマス研究のかつての興盛は誤読や誤解とも無縁ではなく、「ハーバーマス社会理論の内在的理解という課題が未消化にもかかわらず、あたかも解決済みの主題であるかのように片づけられてしまいかねないからである」。

 

ハーバーマスの『コミュニケイション的行為の理論』を「精確に読む」ことはドイツ語にいかに堪能であっても容易なことではない。当時、多数の研究者の共訳で翻訳書が短期間に出版されたということは、ハーバーマス研究の進展にとって大きな成果であったが、「精確に読む」という点で、そこにおのずと制約があったことも間違いない。著者によれば「精確に読む」とは、ただテクストを忠実に読むことではなく、そこに「内在する論理」を解読することなのである。章ごとに展開される著者の「精確な」読解をここで紹介することはできないが、日本における「ハーバーマス研究上のこうした欠落」を埋めようとする著者の内在的解読の成果は、次の言葉に集約されている。「日常性の中にコミュニケーション合理性がはらまれていることを読み取ることができるところに、ハーバーマス社会理論の可能性の中心がある。」

 

評者はこの読解にまったく賛成である。拙著『ハーバーマスの社会理論』(2000年)において、かつて評者は「理論の象牙の塔を出て、いわば日常政治の闘争に陣地を移すことになった」というハーバーマス自身の述懐を手がかりに、「日常実践に内在する理性の潜在力」を手繰り出そうとするコミュニケーション論的転回の意図を明らかにしようとした。「理想的発話状況の概念」をハーバーマスが放棄したという著者の論点も、このハーバーマスの述懐に対応する。当時、評者は「理論と政治とが社会的に交錯する批判理論の固有のアリーナ」に注目して、ハーバーマスのコミュニケーション論的転回にいわば外部から迫ったが、それに対して本書は、『コミュニケイション的行為の理論』の内部から、このアリーナへの出口を示してくれた労作である。

 

最後に課題も述べておかなければならない。著者が結論とした「ハーバーマス社会理論の可能性の中心」はいかにも抽象的であり、そのままではまだ「象牙の塔」からの出口を指し示しただけである。かつて評者は、ハーバーマスのコミュニケーション論的転回に、「1968年」以降の政治文化が切り開いた「日常政治のアリーナ」に登場しつつある批判理論の新たなスタートを見た。それから1世代が過ぎ、「ポスト・トゥルース」が公言されるいま、著者の確認した「ハーバーマス社会理論の可能性の中心」は、どのようなアリーナに出ていくのか。ハーバーマス社会理論を「批判理論」として継承するためには、そのことが明らかにされなければならないであろう。

 

(豊泉周治、群馬大学教育学部教授)

 

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