【書評】竺沙 知章 箸『アメリカ学校財政制度の公正化』

アメリカ学校財政制度の公正化【書評】 竺沙 知章 箸『アメリカ学校財政制度の公正化

教育学研究 第84巻 第Ⅰ号 p.79 より

米国と日本の政府間経済関係、すなわち中央(上位)政府と地方(下位)政府との間の財政をめぐる関係構造の大きな違いは、地方(下位)政府間に生じる財政力格差を中央(上位)政府が財政移転等により調整する財政調整の制度の有無にある。日本からすれば財政調整制度のない米国は奇異に映るが、連邦制という政治行政システムと地方コントロールという米国的な価値観からすれば理解できることではある。ただし、例外的に初等中等教育分野では、州(上位政府)が地方学校区(地方・下位政府)の財政力に応じて公立学校運営費補助を行なう制度が多くの州で見られ、財政学の分野でも米国の地方学校区向け州教育補助金制度を取り上げる論稿がいくつか見られる(例えば、小泉(2004)、塙(2012))。本書の第1部「州学校財政制度改革と公正の実現」で検討対象とされているものもこの米国の州レベルの教育財政制度(本書では学校財政制度と言っている)である。具体的には各地方学校区間の児童生徒一人当たり公教育費支出格差是正を目的として行われてきた上記州教育補助金制度の改革動向が、裁判や教育改革といった要因に即して分析されている。したがって、地方分権的財政システムへの関心から米国州教育財政制度を検討するという本書の着眼点そのものは先行研究にもみられるものではあるが、それに加えて本書は教育アカウンタビリティ制度が教育財政制度改革に与えた影響を考察している点、また、連邦政府を含む「アメリカ合衆国全体の学校財政制度の制度原理を探求」(本書、8頁)している点は書の特徴として評価されるであろう。また、これらを通して米国学校財政制度の基本原理を「公正」(equity)として提示したことの学問的功績は大きい。

本書の読者には、日本の地方交付税制度を想起しながら読むことをお薦めしたい。改めて説明するまでもないが、地方交付税制度は地方自治体間の財政力格差を国が調整するしくみである。すなわち、各地方自治体の想定される歳入額と、標準的な行政サービス提供に要する経費との差額を、現在は国税5税の一定割合を原資として国が配分していく。資産課税のような税目が地方政府主たる税源となっている点は米国でも日本でも同様で、日本の固定資産税は住民税とともに代表的な地方税となっている。米国の各州政府はそれぞれに強力な課税権を持っているから州ごとの違いはあるものの、基本的には連邦政府や州政府の行政サービス提供に要する経費の財源は所得課税や消費課税が中心で、地方政府が提供する公立学校教育や警察・消防などのサービスはいわゆる財産税による税収が主な財源となることが多い。ところが、課税客体となる家屋、不動産などの資産の評価額が高い地域と低い地域では、同じ税率でも税収に大きな差ができてしまう。19世紀後半以降にはすでに、この問題をいかに克服するかが課題となっていた(詳しくは本書、第1章、参照。)。前述のように地方自治体間の財政調整は連邦政府の役割ではないから、基本的に州政府がその独自の財源から地方間格差を是正するしかなく、州教育補助金の配分方法外瘻色と模索されてきたのであった。なお、地方財政論の分野では、日本で1950年度からの4年間導入されていた地方財政平衡交付金のモデルがニューヨーク州における地方学校区向けの教育補助金配分方式であったともいわれている(もっとも、これについて近年は異論もだされている)が、本書の第1章第1節で取り上げられているストレイヤーやヘイグによる標準教育費方式を再確認すれば、地方財政平衡交付金との論理構造の類似性に気づくだろう。

さて、財政力の地域間格差を是正しようとすれば税の徴収と再配分を中央集権化せざるをえず、地方コントロールを尊重すれば自治艦隊格差を容認せざるをえないという状況において、完璧な財政調整制度というものはあろうはずもない。常にどこかの州で地方学校区向け教育補助君制度の改革が試みられているのだが、それを促しているのが訴訟であり、1990年以降の教育改革運動である(本書、第Ⅱ部第2章、参照)。本書のストーリーに即していえば、教育費のインプットの側面、すなわち公教育費支出の公平性に加えてアウトプットの側面から州の教育費補助金配分方法が有効機能しているかどうかを捉える観点が、アカウンタビリティ志向の教育改革とともに、学校財政制度改革の中で重要な位置を占めるようになった。ここで、肝心の学校教育制度改革の原理としての公正概念が、こうした成果主義的教育改革からどのような影響を受け、この原理に照らせばどのような制度改革の展望が描けるのかを知りたいところではあるが、本書では、「十分な成果を上げることのできていない生徒、学校、地方学校区」(本書、190頁)が対象になることや、「教育成果の向上が適切になされているかどうかを、その財源保障と関連づけながら検証する仕組み構築されているかどうかが、学校財政制度の公正の重要な判断基準となる」(同上)と指摘するにとどまっている。この点はやや残念ではあるが、これは本書だけではなく日本における米国教育財政研究の今後の課題と言えそうである。(本書、288-291頁、参照)。

ところで、前述の地方財政平衡交付金制度も、その後継的な制度である地方交付税制度も、個別の地方自治体ごとに標準的な行政サービスに要する経費(すなわち基準財政需要額)をあらかじめ見込むことから始まるから、財政保障の機能も担っている。本書の全体的なバランスとしては、どちらかといえばこの財源保障のほうにウェイトが置かれている。1990年代以降の学校財政制度訴訟の展開を整理する観点も、こうした財政保障の対象、方法、主導権の所在などが軸となって議論が展開されていく(本書、75-77頁)。

日本の場合、地方交付税制度でカバーされる行政分野は教育サービスだけではないため、教育政策コミュニティからは、教育費として確保されるべき予算がほかの分野に回されないよう、基準財政需要額に規範性があるかのような主張が出てきやすい。しかし、例えば市町村教育費の単位費用算定の前提とされている標準的な施設規模を見ればわかるように、地方自治体が現に運営している具体的な学校の様相とはおよそ異なるし、そもそも地方交付金の総額は地方財源計画で見込まれたマクロベースでの地方自治体の歳入総額で決まってくるから、ミクロベースでの必要経費の積み上げである基準財政需要額を標準的な支出水準として要求することが得策かどうかは判断しにくい。国レベルでの標準的な教育費や、あるいはナショナルミニマムとしての教育費が別途オーソライズされるような法令があればそれにこしたことはないだろうが、本書123-132頁で紹介されているような、具体的な教育プログラムを効果的に進めるための必要なコストの算定といったものを、財政調整制度とは別の枠組みで追求していくほうが現実的なのかもしれない。ただし本書でも取り上げられているように、どのようなエビデンスに基づいてこれを決定するかという、悩ましい問題が生じることは避けられない。米国の教育経済論では、コスティング・アウトといわれているが、成果を出すために必要な生徒一人当たりの教育コストを算出するのに、「高い教育成果を上げている学区や学校の実績基づいたり、専門家の判断に基づいたり、統計的な手法を用いたり」(本書、286頁)と、様々な手法が試みられている。その一方で、これらが科学的エビデンスといえるのかどうか疑問も呈されている(本書、130頁)。批判的立場の代表的な論者のアプローチは、科学的エビデンスのヒエラルキー的からいえば最上位に位置づくものとされているメタ・アナリシスであるから、批判派の法に分がありそうにも思えるが、この点の評価は読者によって判断が分かれるだろう(Cairney,2016)。

さて、本書の著者が教育財政制度の中でも財源保障のしくみに関心があることは、本書第Ⅱ部で特定の政策目的を達成するために財源保障をしてきた連邦政府の教育補助金制度の機能と役割が取り上げられていることからもわかる。しかし連邦政府のコントロールを正当化するような制度に対する米国政治行政システムによるアクターによる監視の目は厳しい。例えば、NCLB法が無財源マンデライト(財源措置無き実施命令)に当たるのではないかとして、連邦政府を相手に訴訟を起こす州・地方学校区もあった(Manna, 2011, p.63)。NCLB法の枠組みの下では、州・地方に学力テストなど様々な取組みが課せられているが、そうした事業にかかるコストは実態として州・地方財政からの持ち出しになっており、法令通りに実施しない場合は補助金の減額もありえることから、無財源マンデライトになっているとの主張であった。もともと連邦政府及び議会予算局の解釈では、例えば岳直テストの実施はNCLB法による補助金支給の条件であるから補助金を受けない州・地方学校区はこれに従う必要がなく、無財源マンデライトには該当しないとされてはいた。当初においてこそ、NCLBプログラムからの離脱を検討する州もあったようではあるが、教育改革が国民の関心を集める中、財政難に直面している州・地方学校区にとってあえて連邦補助金に頼らないという選択肢は現実的ではないだろう。本書では、ごく簡単ながら、連邦政府に対する州政府への財政調整制度の必要性を説く議論も紹介されており(本書、272-273頁)、この点、著者の財源保障と財政調整の機能を両論とする教育財政制度構想の一端が伺われるとみることができるだろう。そうした制度の米国での実現可能性はともかくとして、日本では三位一体政策のような状況が二度おきないという保証はないわけだから、評者が日本の地方交付金税制度を念頭に置きながら本書を読むことをすすめている所以でもある。

〈参考文献〉

小泉和重(2004)『アメリカ連邦制財政システム―「財政調整なき国家」も財政運営―』ミネルヴァ書房

塙武郎(2012)『アメリカの教育財政』日本経済評論社

Cairrey , P .(2016).  The Politics of Evidence-dence-Based Policy Making. London: Palgrave Macmilan.

Manna, P .(2011) . Collision Course: Federal Education Policy Meets State and Local Realities.Wshington, D . C.: CQ Press.

本多正人(国立教育政策研究所 評)

アメリカ学校財政制度の公正化

【東信堂 本体価格3,400円】

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