【書評】藤川賢・除本理史編著『放射能汚染はなぜくりかえされるのか』
蓮井誠一郎より
なぜ放射能長園が繰り返されてきたのか。どうやって繰り返さないようにするのか。この課題を解決するために7名の執筆者が集まって公害として放射能汚染を原爆から3.11まで地域の経験を通じて編み出そうと試みた。
過去の放射能汚染、そして東電福島第一原発事故も特定地域に限った問題ではない。本書でも指摘されるように日本の社会的意思決定の産物である、事故の汚染物質は遠く沖縄でも発見されている(厚生省, 2012/2/7)。だが被害に向き合う現場や当事者は地域にあり、その地域が背負っている歴史や特色、巡り合わせが重要となる。本書で展開される各論は、広島と長崎の被爆、人形峠ウラン残土放置事件、青谷・気高原発事故にいたる問題事例である。それら地域での多様な、しかし共通点もある克服の動きと、公害としての放射能汚染から何を学ぶかという普遍的な課題認識との間を往還しながら論じるその手法は、これまでにない視点を提供してくれる。
たとえ誤りでも「唯一の被爆国」とされる日本において、放射能汚染というのは、ある種雄特殊性を帯びる。それは強い拒否反応で、人びとは自らと汚染との距離を置きたいと願い、公害の総体的な被害という現実を無視して問題を限定しようとする。地理的には特定地域の問題で、社会的には汚染原因者の一部(現場や管理職集団)の問題だといったように。その結果、加害者や政府が望む被害の局所化、軽視に加担することとなった。それは被害の総体に対する社会の不理解、無関心、忘却、被害者への差別、沈黙をもたらし、問題の切り出しと限定を可能にして次に活かせる普遍的教訓が得られず、地域と人間関係の対立・分断により問題を提起していく主体形成をも妨げてきた。特に広域避難が行われた3.11では、人材不足から地域の問題を発信する主体の形成が妨げられた面もあった。
このように厄介な放射能汚染問題を克服するには、ひとつにはこれまで試みられてきたように、海外の事例を調べ、それらとの共通点を探って普遍性を見出し、学びを得ることだろう。だが本書では、放射能汚染を公害の事例のひとつとして捉え直すことで、日本の放射能汚染以外の公害問題とそこでの豊富な学びとの接続を試み、また現在と将来の公害の克服と予防への貢献を模索している。そこで目を引くのは、研究者や専門家や政治家よりも、地域に根を張って暮らす普通の市民が、自らの生存基盤を守ろうとして試行錯誤をし、奮闘する姿である。
地域での課題解決には、様々な問題も指摘されてきた。地域は団結を可能にすると同時に、因習やしがらみや同調圧力によって苦悩や対立や分断の舞台ともなってきた。地域には希望と絶望が同居してきたのだ。他方で問題を克服した事例をみれば、時機を逃さず地域が強力な主体を形成し、外部の協力者と連帯しながら問題克服のために奮闘したことが鍵になっている。
評者も本書でいう低認知被災者の茨城県に住み、3.11後は自ら暮らす地域で苦悩しながら主体形成支援をめざしてささやかな活動をしてきた。その戦略のひとつは、本書にある「被害の潜在化」を避け、被爆者差別を克服するために、汚染の実態を初期被曝も含めて詳細に描き出して不安の合理性を示し、被曝の全貌を可視化することだった。不安の合理性を示すことで被害が語りやすくなり、それにより被害者の全体像の大きさを描き出せば、差別対象者があまりにも多すぎて少数者とはいえず、差別が困難になると考えたためである。
しかし、その低認知故か、結果的に我々は問題を克服できなかった。多くの低認知被災地住民は自らも低線量被曝者だというスティグマを受け入れることには抵抗があったかもしれない。ただ成果もある。現在も地域で続く市民測定活動だ。それはスティグマを受け入れ、それを克服すべく努力する人々の営みとなっているのだ。
避難と帰還が課題となる福島県内地域と、スティグマの受容と克服、あるいはその拒否と無視が課題となる周辺地域では、今後も市民の動きや教訓の認識と定着は異なるだろう。しかしこれらの問題をその地域の市民がどう認識し、どう克服しようとしたか、それを丁寧に記録することが、我々の社会的意思決定の記録となる。本書にも高木仁三郎の「忘れっぽい日本人」への危惧が指摘されているが、それでも本書は、これまでの放射能汚染問題被害者の抵抗と成功体験の丁寧な描写により、私だけでなく、これを手に取る3.11の放射能問題に悩む市民に大きな学びと勇気を与える書であるといえよう。
(はすい せいいちろう・茨木大学)
(東信堂,2018年,224頁,2000円+税)