【書評】山本須美子『EUにおける中国系移民の教育エスノグラフィ』
『異文化間教育』41号 異文化巻教育学会より(2015年3月31日)
本書の課題は以下の2点に集約される。第一に、イギリス、フランス、オランダの正規の学校における中国系移民の子どもたちに対する教育を比較検討することである。第二に、3国における中国系移民第2世代の学校適応と中国系新移民の学校不適応の実態とその要因を比較検討することである。
序章では、研究課題と方法、先行研究の整理、本研究の位置づけを述べている。本研究は上記の課題に迫るべく、ライフヒストリーを構成するインタビューおよび3国における学校現場や中国語補習校における参与観察を方法として採用している。これらのデータを読み解く理論的視座としてオグブ(J. U. Ogbu)の「成功の民俗理論」を用いている。著者は、教育人類学の先行研究、EU諸国における中国系移民の教育に関する研究に基づき、自身の研究の独自性を、3国の中国系移民を対象とした比較研究である点、中国系移民に対する教育実践を移民教育政策やエスニック・コミュニティのあり方との関係性を踏まえたうえで比較した試みである点にあると述べている。
第Ⅰ章では、3国における1980年以前の「中国系移民」について歴史的背景を概観し、1980年以降の「中国系新移民」流入による中国系コミュニティの変化について、中国系アソシエーションの変化から比較考察している。3国における新移民は、出身地が1980年代以前の移民と異なっており、既存のアソシエーションとの関わり方が三者三様である。このことが、3国の中国系アソシエーションのあり方に影響を与えたのか否か、比較検討により示されている。
第Ⅱ章は、3国における移民政策および移民教育政策を検討している。各国の「マイノリティ」あるいは「移民」の定義は異なるが、とりわけ、中国系移民が「エスニック・マイノリティ」に含まれなかったオランダの移民政策に焦点化し、イギリスとフランスの移民政策と比較している。そして、EUレベルと3国における移民教育政策の歴史的展開を先行研究に基づき、概観している。
第Ⅲ章では、3国において中国系第2世代が受けた文化的背景に関連した教育について、正規の学校と中国語補習校における中国語教育に焦点化し、検討している。正規の学校では、外国語としての中国語教育が行われており、補習校では家庭内言語(広東語)の母語教育が行われていた。しかし、中国の経済発展等を鑑み、補習校においても母語教育としての役割が縮小して中国語(北京語)教育が行われるようになったことが示されている。
第Ⅳ章では、中国系第2世代の学校適応の実態が、インタビューを基に成功の民俗理論を抽出しながら説明されている。結論として、3国の中国系第2世代のインタビューから、学校教育を成功の手段と重視する民俗理論が共通に読み取られ、それが第1世代、第2世代に共有されていることが第2世代の学校適応を可能にしたと結論づけている。
第Ⅴ章では、3国における主流社会の文化と親の背景にある文化の狭間においての中国系第2世代の文化的アイデンティティ形成について、インタビュー基づき比較検討し、教育と文化やアイデンティティ形成との関係性について著者は考察している。著者は、これまで指摘されたことのない結論として、3国の中国系第2世代の文化的アイデンティティ形成過程に違いを生み出したのは、文化的背景に関わる教育のあり方ではなく、エスニック・コミュニティそのものの特徴であると指摘している。
第Ⅵ章では、中国系新移民の子どもの学校不適応が問題として顕在化しているフランスの学校における取り組みを検討している。インタビューや参与観察のデータによれば、フランスにおいては、中国系新移民の中でも温州出身者に親の不法滞在による社会経済的な不安定さや「家族の移住形態」が子どもの教育に影響を及ぼし、欠席や退学問題が顕在化している。フランスに比べ、イギリス、オランダではこうした問題は顕在化していない。問題の顕在化が教育実践を生み出す強い要因として作用していると結論づけている。
終章では、本書の二つの課題に対し、結論が示されている。著者は、第一の課題に対し、正規の学校における中国系第2世代の文化的背景に配慮した教育は、3国共に移民教育政策の下でもそれほど実施されておらず、互いに違いがないことが明らかになったとしている。第二の課題に対しては、中国系新移民の学校不適応につながる要因として、第2世代の学校適応と比較し、親の法的地位、子どもの移住形態、「主流社会の言語能力」の3点を挙げている。こうした複数の要因に留意した包括的なアプローチが政策面や研究面において必要であるとし、EUにおける中国系移民の教育に関する研究にとどまらず、日本における外国にルーツを持つ子どもの研究においても有効であろうと述べている。
以上が本書の概要であるが、評者の立場から4点述べておきたい。
第一に、インタビューと参与観察のデータの扱いについてである。教育エスノグラフィー研究として、著者は9年間にわたり、3国の中国系第2世代約90名にインタビューを行い、学校での参与観察も行っている。こうした膨大な調査を実施したことを考えると、本書で直接言及されたデータは少ない。こうしたデータがより多く示されれば、中国系第2世代のライフヒストリーや著者の分析がより明瞭に読み手に理解されたのではないかと思う。また、インタビューの構成方法について特段の記載はないが、それが具体的に示され、その結果引き出されたデータをどのように読み解いていったのかそのプロセスが本書に含まれたならば、中国系にとどまらず、移民のライフヒステリー研究を志す者に大きな示唆を与えることができたのではないかと考える。
第二に、3国の先行研究や資料分析についてである。イギリスを中心に研究を進めてきた著者にとって、言語と社会のあり方が異なるフランスとオランダを射程に入れて以来、多大な労力を要したと思われる。フランス、オランダについては、優れた関連先行研究が日本語で存在するが故に、これらに依拠することが多かった。制度変更がありうることも考慮すると、もう少し原語の情報に当たる必要があったと思われる。この点が、イギリスに比べ、フランス、オランダの先行研究や資料の検討における記述の厚みに差をもたらしていた。これは比較研究をしようとする誰もが直面する課題である。
第三に、中国系移民の学校での成功や適応・不適応の要因について検討する際、なぜイギリス国内の他のエスニック・マイノリティとの比較をせず3国比較をしたのかという点である。評者は、例えば同じアジア系に含まれるインド系移民と比較するなど、イギリス国内にお他のエスニック・マイノリティと比較するほうが中国系の特徴がより顕著に表れるのではと考える。
第四に、EUの事例を参照する意義についてである。著者は、3国の移民教育政策の違いが中国系移民への教育にそれほど影響を及ぼしていない現状から、日本における外国にルーツを持つ子どもの教育に関する研究を進めるうえでEUの事例を参照する意義はないと述べている。評者はこれには同意できない。著者が取り上げた3国や評者が研究の対象としているドイツは、日本に比べて20年以上早く移民の急増を経験してきた国々である。各国はそれぞれの社会のあり方を踏まえながら、いかに移民の社会統合を進めるのか試行錯誤を重ねてきた。移民の子どもに対する言語教育、親に対する教育支援、社会参加に向けた支援など、ドイツをはじめとするEU諸国の取り組みから、そしてこれらに向き合ってきた先達の先行研究から、評者は日本の外国人児童生徒理解教育や異文化理解、共生についても多くの示唆を得ている。比較研究から導き出される共通性や相違性、¥は、現実の教育課題に対するアプローチを検討する際、我々の視野を広げ、多くの示唆をもたらしてくれるのではないか。中国系移民の事例だけに依拠してすべての比較研究の意義を否定することについては同意できない。この点については、EUをフィールドに研究を進める他の会員の見解も是非聞きたいところである。
評者の以上の指摘や疑問については、著者はすでに認識し、それに応えうる研究を進めていると考えられる。著者は数々の研究成果を基に、科研費基盤研究(B)「EUにおける移民第2世代の学校適応・不適応に関する教育人類学的研究」にすでに着手しているからである。本書で扱った3国にドイツとベルギーを加え、中国系マイノリティだけでなく、イスラム移民第2世代も対象にしている。著者が意欲的に進めるこの共同研究の成果を手に取る日を評者は心待ちにしている。
(伊藤亜希子 福岡大学 講師 異文化間教育)
【東信堂 本体価格4,500円】