【書評】金子勉著 『大学理念と大学改革一ドイツと日本』
書評 IDE現代の高等教育 No.583 大学評価のいま 2016年8-9月号より(2016年8月1日)
本書は、2011年9月に急逝された金子勉氏の遺稿集である。金子氏は、京都大学でドイツの大学の組織原理に関する研究を開始してから、ドイツの高等教育に関する研究を継続しつつ、日本の大学制度等に関する研究に取り組んできた。本書は三部で構成され、「第1部 大学理念の再検討」に はフンボルト理念に関する論考が、「第2部 ドイツにおける大学改革」にはドイツの大学の組織原理、ドイツにおける国(州) 立大学法人化の動向などをめぐる論考が、「第3部 日本における大学改革」には、独立研究科の設置状況、無試験検定制度許可学校方式における認可過程等に関する論考が収められている。そして最後に、「解題」が付されている。
本書に収められた日本の大学制度に関する研究も手堅くまとめられ、学ぶところが多いが、ここでは金子氏の関心の中心にあり続けたドイツの高等教育に関する論考について、①ドイツの大学の組織原理に関する研究、②ドイツにおける大学の法人化をめぐる研究、③プンポルトの大学理念をめぐる研究、の3つを取り上げてみたい。なお、1976年に施行された連邦法である高等教育大綱法 (Hochschulrahmengesetz) は、連邦憲法である、基本法 (Grundgesetz) が改正され「大学制度の一般的原則」に関する大綱的立法権が選邦に与えられたことにより制定されたものであり、各州の大学法はこれに基づくものとなっていた (2006年の連邦制改革により、高等教育大綱法は効力を失っている)。本書ではHochschulrahmengesetz に「大学大綱法」と「高等教育大綱法」の二つの訳語があてられている。1990年代前半に大﨑仁氏が組織し、金子氏も参加した (財) 高等教育研究所の研究事業「ドイツの高等教育政策・法制に関する総合的研究」において、同法がいわゆる大学のみでなく広く高等教育機関を対象としていることから、「大学大綱法」ではなく「高等教育大綱法」が適切ではないかとされた。
まず、「ドイツの大学における意思決定機関の構成原理」(第3章第1節)、「ドイツの大学における管理ー元化の理論的課題」(同章第2節) である。高等教育大綱法は 大学の法的地位について、公法上の社団であり、国 (州) の施設であると規定してい た。そのようなドイツの大学において、大学の意思決定はどのような概念に基づき、どのように行われているのか。同法は、大学の管理について、研究や教育に係る事項は大学当局 (学長、評議会) が管理し、それ以外の事項 (予算等) は国家が管理する二元的管理ではなく、両方の事項を大学当局が管理する一元的管理を定めていた。この一元的管理をめぐり、概念としての同僚制原理と官僚制原理、意思決定機関の構成原理としての集団代表制原理と専門代表制原理について、歴史的状況も踏まえながら丹念な検討が加えられている。
1998年に高等教育大綱法が改正され(第四次改正)、州の立法措置により、公法上の社団と国(州) の施設の複合体ではない州立大学を設置することが可能になった。「ドイツにおける国立財団型大学の成立」(第4章第2節)では、ニーダーザクセン州に導入された国立財団型大学 (Stiftungshochschule) について、 新大学法が成立するまでの過程をたどり、政府や委員会による草案の比較検討を通して、その設置形態、学内組織等を明らかにしている。また「ドイツにおける国立大学法人化の新動向」(同章第3節)では、ヘッセン州とベルリン州の事例も検討されている。日本の国立大学法人について考える際、示唆されるところの多い論考である。
1810年のベルリン大学創立に重要な役割を果たしたとされるヴィルヘルム・フォン・フンボルトの大学理念は、日本を含め た多くの国の大学関係者の大学観に大きな影響を及ぼしている。しかし、フライブルタ大学教授パレチェクの論文「『フンボルト・モデル』は19世紀のドイツの諸大学に普及したか?」(2001年) は、「フ ンボルトの大学理念」、「ベルリン・モデル」といったことは19世紀を通じて知られず、ベルリン大学創立100周年記念にあたる1910年に、ベルリン大学の栄光を正当化するためにつくり出された神話であるとした。この「パレチェク仮説」を正面から受け止めたのが潮木守ー (「フンボルト理念とは神話だったのかーパレチェク仮説との対話ー」、2007年) であり、「パレチェクと潮木の研究に触発されて」(26頁)「大学論の原点ーフンボルト理念の再検討」(第1章)、「ドイツにおける近代大学理念の形成過程」 (第2章) がまとめられた。そこでは、例えば、1910年以前に「フンボルト理念」、「ベルリン・モデル」は知られていなかったとするパレチェクの指摘に対して、「19世紀に刊行された文献を精査すると、フンボルトがベルリン大学の創設において重要な役割を果たしたことを示唆する記述を見出すことができる」(25頁)とし、フンボルトによる「ベルリン大学創設に関する建議」(1809年) が1846年に刊行されたフンボルトの著作集に収録されていることなどを示す。このような探究は始まったばかりであった。さらなる関連資料の収集も進んでいたようである。「パレチェク仮説」に対する金子氏の応答はどのような展開をたどることになっていたのだろう。本書は、「金子勉先生遺稿集刊行有志の会」により編纂されたものである。このようなかたちで金子氏の業績をまとめられたことに敬意を表し、また感謝したい。
長島啓記 (早稲田大学教育・総合科学学術院教授/比較教育学 評)
【書評】金子勉著『大学理念と大学改革——ドイツと日本——』
『比較教育学研究第52号』p.223 書評 より
本書は、2011年9月7日に急逝された故金子勉会員の遺著である。各方面から前途を嘱望されていた有能な研究者のあまりにも早い逝去は、我々会員に教学と深い悲しみを与えたことは記憶に新しい。
生前の著者は、京都大学教育学部准教授(比較教育政策学)として、専門分野にとどまらず幅広い領域で活躍した。とくにドイツの高騰教育研究においては、学会をリードする存在であった。著者はいろいろな場で多彩な著述を残しているが、残念ながらそれらを踏まえて書籍にまとめる過程で亡くなった。著者と懇意にされ、その業績を高く評価する方々が「金子勉先生遺稿集刊行有志の会」を組織し、生前の著者が書き残したさまざまな論考、講演記録などのなかから大学研究に関わるものを中心にピックアップし、体系化して再構成したものが本書である。
著者を知り、その研究から多くの示唆を受けてきたひとりとして、こうした1巻の書物にまとめられたことをたいへんうれしく思うとともに、分散されていた故人の著作を探し出し、その業績の集大成にまで漕ぎつけた「有志の会:野ご苦労にはまず心より敬意を表したい。
本書は、大学理念について扱った第1部(第1章~2章)、ドイツの大学改革を論じた第2部(第3章~5章)、日本の大学改革に関連する論考を所収した第3部(第6章~8章)に分かれている。直各部の最後に、各部に関連して著者が執筆した書評も収録されている。
第1部「大学理念の再検討」は、「大学論の原点」(第1章)、「ドイツにおける近代大学理念の形成過程」(第2章)から構成されている。第1章では、高根義人、福田徳三、ヘルマン・ロエスレルなどの大学論、ベルリン大学とベルリン科学アカデミーの歴史、大学関係法令等々を手掛かりとして、ゼミナール、インスティトゥート等の諸施設のもつ性質を論じ、ドイツ近代大学理念について考察している。第2章では、ベルリン大学の創立前後から約100年の間に展開した大学論の軌跡を再検討することを通して、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの大学構想がドイツ大学の理念として確立する過程と、彼が抱いた意図が解明されている。
どちらの論文も緻密な歴史検証にもとづき、洗練された格調高い文章でつづられている。著者にとってはこのテーマを扱った「第35回大学史研究セミナー」(2009年12月5日、於:東北大学)で聞いた著者の知的刺激に満ちた発表が強く印象に残っている。著者はこれらを発展させ、新たな大学論に向けた構想を練り上げていたのではないかと思われる。
第2部「ドイツにおける大学改革」は、著者が学生時代から研究テーマとしてきたドイツの高等教育に関する所論を集成したもので、3つの省に分けられている(第3章「ドイツにおける大学の組織原理と実態」、第4章「ドイツにおける大学改革の動向」、第5章「ドイツにおける大学の質保証の展開」)。いずれもわが国の高等教育製作を考えるにあたって貴重な示唆に富む内容となっている。
第3章においては、第1節「ドイツの大学における意思決定機関の構成原理」で、ドイツ大学の管理運営原理の中心をなす2つの原理(集団代表制原理、専門代表制原理)の本質と両原理の関係を明らかにし、大学自治の本質に迫っている。第2節「ドイツの大学における管理一元化の理論的課題」は著者の修士論文であり、著者の研究の原点でもある。個々ではまず大学管理の一元化に密接にかかわる原理として「同僚制原理」と「官僚制原理」を抽出し、その上でこの2つの原理を媒介として、管理一元化における統括機構の抱える問題を吟味し、その論理的課題の克服が模索されている。第3節「ドイツ高等教育立法の政治分析」では、ドイツにおける高等教育立法の政治課程の分析を通して、ドイツ大学における管理運営の原理・原則を解明するための基礎の構築が企てられている。第4節「ドイツにおける大学職員では、複雑なドイツの大学職員の概念が法制面を中心にわかりやすく解説されている。
第4章は、「大学ガバナンスの主体の構成原理」(第1節)、「ドイツにおける国立財団型大学の成立」(第2節)、「ドイツにおける国立大学法人化の新動向」(第3節)、「ドイツの大学における組織改革と財政自治」(第4節)の4つの節から成る。まず第1節では、ガバナンスの主体が、学外者の参与と理事者への集約を特徴とする運営の構造へと移行しつつあるドイツ大学の状況が述べらえている。第2節では、新しいタイプとしての「国立財団型大学」(Stiftungshochschule)を例に、その設置形態と学内組織について分析することにより、ドイツにおける国立大学の法的性格と国立財団型大学を創立することの意義について論究している。第3節では、ドイツでも1998年の「高等教育大綱法」改正により、従来とは異なる法形式による国立大学の設置が可能になったことをめぐる議論を展開している。第4節では、70年代から80年代にかけて行われた管理運営組織に関わる改革の内容と、90年代に始まった会計制度改革地関連した大学組織運営上の問題が扱われている。
第5章は、第1節「ドイツにおける大学教授学の展開」、第2節「ドイツにおける学位改革の進展」、第3節「高等教育機関の評価」というタイトルからわかるように、ドイツにおいて展開されている大学教育をめぐる改革運動について、特に質保証の視点を中心に考察されている。合わせてドイツにおける「複数専攻」「複数学位」の取得システムなどについても取りあげられている。
第3部「日本における大学改革」は、三つの章から構成されている。すなわち第6章「大学の法的地位と組織改革」では、「明治期大学独立論からの示唆」(第1節)、「国立大学大学院における独立研究科の設置状況」(第2節)、「国立大学の独立行政法人化と再編・統合」(第3節)、「大学のガバナンス」(第4節)について言及されている。特に第1節は、国家に対する大学の独立性の在り方について、明治期の議論を紹介したものであるが、それは今日的課題にも通じる興味深いものである。第4節は、光華女子大学における講演記録である。第7章「教員養成史と大学の役割」は、漢文科を例に論じた「無試験検定制度許可学校方式における認可課程」(第1部)と「新制大学の展開と教育学部(第2節)がその内容である。第8章「学部教育改革の課題」では、「大学入学までの学習の状況」(第1節)、「秋季入学の歴史と政策の展開」(第2節)、「教養的教育と専門的教育——カリキュラム教育は成功したか」(第3節)がテーマとなっている。
第3部の主題は日本の大学革新であり、所収された論文等は、必ずしも比較教育学的視点から書かれているわけではないが、外国事情に通じた著者の幅広い学識が随所に滲み出ている。
なお巻末には、著者をよく知る研究者による次のような行き届いた解題も付されている。これらを読むことで、本書のもっている意義が改めて浮かび上がってくる。
・「学問の意義と大学の役割——金子勉の大学研究に学ぶ」(高木英明)
・「金子勉の大学論の原点に関する研究——『フンボルト理念』をめぐる諸問題について」(服部憲児)
・「金子勉による大学の管理運営制度論の今日的意義」(山下晃一)
・「『大学』制度史に関する覚え書き——金子勉からの示唆を得つつ」(大谷奨)
・「大学の法的地位・設置形態の研究尾大学の可能態——金子勉の大学研究に学ぶ」(大野裕己)
・「解放性中等教員制度の原型としての無試験検定制度」(木岡一明)
以上ざっと本書の内容をたどってみたが、「有志の会」の「刊行にあたって」にも記されているように、この書物をきっかけに、これからの大学と学問の在り方を考え続けていくことが、我々残された者に課せられた使命であろう。
ヨーロッパの大学は、その方向性と中身について見ると、「評価」と「競争」を主体とするアメリカ型の大学へと変貌しつつあるように見受けられる。しかし、そのなかでヨーロッパにおいては、1つのヨーロッパを念頭に、ヨーロッパ全体の知識基盤野レベルアップを視野に置いた一連の高等教育改革が進行している点に、大きな特色が見られるように思われる。ドイツの大学改革も、その大きな流れの中で推移していると見ることができよう。
こうした点も踏まえながら、今後ヨーロッパ統合という共通の課題を背景に、これまでの伝統的な大学制度の基本理念構造の上に、21世紀を知的に導くことのできるどのような新しい大学像が浮かび上がってくるのか。著者は、そうした大学像を恐らく頭のなかに思い描いていたのではなかろうか。日独の比較高等教育研究をベースに、ヨーロッパ高等教育の将来像について、著者独自の見解を聞けなくなってしまったことは返す返すも残念である。
(東京大学大学院非常勤講師 木戸裕 )
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