『文部科学省の解剖』
(A5判、296頁、3200円+税)
東北大学 大森不二雄
刺激的なタイトルの書である。しかし、この書名から内幕本を期待してはいけない。本書の内容は徹頭徹尾、学術的である。第1章の章題「官僚制研究に文部科学省を位置づける」に本書の目的が端的に表現されている。
第1章において、本書の編者・執筆者(研究チーム)の学術的な問題意識が明らかにされている。すなわち、官僚制研究を担う行政学は、「三流官庁」と揶揄させるほど軽視されるゆえにか、旧文部省・文部科学省を研究対象とせず、教育行政学は、地方教育行政(教育委員会)に研究関心が集中する傾向とともに、官僚制研究のメソドロジーを十分摂取してこなかった中で、文科省研究が「エアポケットのような状態」(p.9)となってきたとの問題意識である。ちなみに本書の編者は教育行政学者であるが、それ以外の執筆者は6人全員が行政学者である。
また、今なぜ文科省研究なのかという社会的意義の観点は、本書の「はじめに」で述べられている。不祥事や官邸との関係をめぐる問題が続発し、「文科省は三流官庁だからこんなことをするんだ」といったバッシングに遭っているが、「文科省に対する社会の認識は誤解と思い込みに満ちている危険がある」(p.iv)として、文科省の実態の学術的解明を試みたとしている。
さて、本書の研究結果は、文科省に対する「誤解と思い込み」や「文科省は三流官庁という俗説」(p.ii)に反証するものとなっているのか。むしろ「俗説」を裏付ける結果が得られているというのが、評者の評価である。本書が主要な方法論とする「官僚サーベイ」(調査員が対面で、あらかじめ用意した調査票を読み上げ、回答してもらう方式)が文科省の幹部職員を対象に2016年10月から2017年2月にかけて実施された結果(対象者114人中75人分回収)、首相官邸との距離が遠く、その影響力の大きさを認識しながら、コミュニケーションが殆ど取れていないこと(第2章及び第5章)、財務省については、協力を得るのが難しいという認識を持っていること(第2章)等の知見が明らかにされている。さらに、サーベイを補完する事例研究(第4章)では、文部系(旧文部省系)が財務省と対峙した教育振興基本計画の策定課程及び科技系(旧科学技術庁系)が経済産業省と対峙したもんじゅ廃炉の決定過程のいずれにおいても、文科省が敗北したことを明らかにしている。しかし、文科省=三流官庁論の妥当性に関し、一定のエビデンスを提供する実証研究となっていること自体が、本書の成果である。
三流官庁論に関連して、触れざるを得ない問題に言及する。文科省における一連の不祥事は、本書が研究対象とする「組織」の在り方に関わる問題であるにもかかわらず、本書はこの問題を正面から論じていない。学術研究の立場から、組織変革に資する知見を提供してこそ、真の意味で「文科省への激励の書」(p.iv)になるのではなかろうか。もとより2016年10月から2017年2月にかけて実施されたサーベイ調査の設計やその基になった研究計画に、2017年1月以降に発覚した一連のスキャンダルが反映されようがないことは理解しているが、出版までに踏み込んだ記述を追加してもよかったのではないかと、残念に思う。
本書の内容に戻る。文科省における旧文部省と旧科技庁の統合の実相を「庁舎内の部署配置」及び「執務室内の座席配置」から分析した第6章、並びに、統合後の文科省の幹部人事における文部系と科技系のポスト占有率を明らかにした第8章は、非常に興味深い。両章の分析結果については、読者のお楽しみに取っておきたい。
総じて、文科省を行政学の研究アプローチの俎上に載せた学術的意義において、本書が腰帯の謳う通り「先駆的一冊」であることは間違いない。だが、専ら教育を研究対象とする者にとっては、物足りない点もある。編者があらかじめ断るように、本書は、文科省の「組織」に注目しており(p.15)、教育「政策」を意図的に捨象している。それゆえか、疑問無しとしない考察も散見される。たとえば国立大学の法人化のインパクトの大きさ(政策のみならず組織に及ぼした影響も多大)を直視することなく、小泉政権時代を中心とする第一次自公政権時点で、「文科省は官邸主導の教育制度改革に抵抗し続けることに成功した」と断じている。逆に、地教行法改正(2015年4月施行)については、官邸主導の改革に押し切られた旨の考察を行っているが、果たしてそうだろうか。そもそも同改革は、教育委員会事務局が隠蔽や組織防衛に走ったとの大津市いじめ自殺事件の教訓から議論が始まったにもかかわらず、事務局を率いる教育長の権限と地位の強大化で決着した。そこには、文科省から教委事務局への上意下達の枠組みによる省益維持を図ったしたたかさが嗅ぎ取れる。
文科省と教育政策の総合的な理解には、本書の依拠する行政学や教育行政学に加え、教育社会学を含む諸学による多様なアプローチが必要である。未開拓のアプローチだった官僚制研究の手法により文科省研究に果敢に取り組んだ本書を、様々な分野の研究者等が一読することを期待したい。最後に、編者が吐露した次の課題認識を評者も共有していること、並びに、こうした規範的視点を持ちながら、諸学が探究を進めるべきとの私見を述べ、筆を置く。
「21世紀を迎えて以来およそ20年間のあいだに、日本の国際社会でのプレゼンスは著しく低下し、……行政の世界でも急速に進展する少子高齢化に伴う社会保障費の激増の直撃を受けながらなんとか毎年の予算編成をやりくりしている。限られたパイをめぐって、地方自治体や関係者団体は、予算獲得に躍起になる。それぞれが最善と思いながら行動している。それにもかかわらず政治への幻滅、行政への不信が深刻化している。私たちは学術界に身を置く研究者であり、その立場からこうした社会の閉塞感にまで思いを馳せながらこの4年間文科省を研究対象に研究を進めてきた。」(pp.i-ii)
(『教育社会研究』106集 2020年5月 掲載)