【書評】柴田徹平著『建設業一人親方と不安定就労――労働者化する一人親方とその背景』

【書評】柴田徹平著『建設業一人親方と不安定就労――労働者化する一人親方とその背景』

(A5・224頁・¥3600+税)

日本労働社会学会 日本労働社会学会年報 第29号 2018年

 

 

金子満活(関東学院大学)より

 

 建設業は日本の国内総生産(GDP)の6.1%(日本建設業連合会調査2016年現在)占める重要な産業ではあるものの、5K職場(きつい・汚い・危険・給料安い・休日少ない)といわれ建設業に従事する人々500万人(国土交通省調査2015年現在)のうち、55歳以上が169万人、29歳以下が54万人と若者の建設業従事者が少なく高齢化に歯止めがかからない状況である。この書はこれらのうち自ら職人を雇用せず自分ひとりで建設工事を受注する一人親方(とりわけ町場の大工)が低賃金・長時間労働に従事している現状と仕事の繁閑に振り回されることで不安定就労に悩まされ貧困と背中合わせで生きる彼らの生活実態について調査したものである。この書で特筆すべきは、建設業における町場(まちば―個人の木造住宅の建築工事を担当する業者)、野丁場(のちょうば―鉄骨もしくはコンクリート構造の大規模建築工事などを担当する業者)、新丁場(しんちょうば―住宅メーカーの軽量鉄骨造のプレハブ住宅の建設に携わる業者)と丁場(ちょうば)に分類され、とりわけ町場の一人親方に焦点を絞っていることである。なぜ、この丁場別分類が必要かと言うと町場の建設業者は現場の規模も使用する材料も技術も異なる野丁場には進出できないし、逆に野丁場は町場の仕事には手を出さない(一つひとつの現場の規模が小さく採算が合わないのと、お互いのテリトリーを守るという意味で)不文律が存在するからである。逆に町場は新丁場をライバル視する傾向があるといえる。なぜなら、前述したように町場は木材を使用して住宅を建設するのに対し、新丁場は軽量鉄骨を使用して住宅を建設するという使用材料の差異だけで建設するための技術は共通する部分が多いので、町場から新丁場にシフトすることはさほど難しくはないといえるが、町場も新丁場も同じ個人の住宅を手がけることから顧客の奪い合いが発生し価格競争に陥ってしまう事すらある。建設業は受注産業であるので価格競争の行く末は実際に現場で仕事をする業者の「低価格請負」を促進することになる。また、特定の元請(町場の工務店など)一社だけの取引では仕事に繁閑が出て不安定就労の原因となるので、実際に町場の仕事がないときには新丁場の仕事をやるという業者も少なからず存在する。

 建設業者はこのような形で棲み分けが確立しており、この丁場別分類ができていないとそれぞれの丁場が持つ特殊な事情(たとえば野丁場などはゼネコンを頂点として重層下請構造が確立しており、下請次数が下になればなるほど同じ仕事でも受注価格が低減するといった具合に)を見いだせなくなってしまうので注意が必要といえよう。

 また、本書における特筆できる第二の点は、個人情報保護が叫ばれる昨今において全国建設労働組合総連合東京都連合会(都連)の行った『賃金調査』の個票データと神奈川土建一般労働組合および横浜建設一般労働組合の協力のもとに行った聞き取り調査である『一人親方調査』の個人データを入手してそれらを駆使して一人親方の不安定就労性を論じている点である。個票データや一人親方調査の調査票はまさに「個人情報」そのものであるため研究者がいきなり一人親方のところへ出かけていってもまず調査協力などしてもらえないし、話すら聞かせてもらえない。やはり前出の個人加盟の労働組合の後押しがなければ建設業者(一人親方)の調査は難しいといえる。とりわけ野丁場ではこの傾向が強い。なぜなら、野丁場の場合、建設現場に出入りする下請業者の名簿は元請のゼネコンが管理しているため名簿を見せてもらえないのと現場の機密保持の観点から現場のコネクションがなければ現場調査は非常に困難といえる。

 さて、ここまで本書の良い点を述べてきたが、批判すべく点も存在する。と言うのは、一人親方だけが仕事の繁閑と低賃金によって貧困化し不安定就労を強いられているような著述が散見されるが、仕事の繁閑や低賃金、加えて長時間労働というのは何も一人親方だけの問題ではなく、元請(野丁場でいう「ゼネコン」、新丁場でいう「住宅メーカー」を含む)から仕事を請け負って工事をおこなう「下請専門工事業者(以下、下請)」にも同様のことがいえるのである。バブル経済の崩壊、リーマンショックと二度の経済不況によって元請から下請に対する工事発注価格が減少し下請の得られる利益も少なくなり(ただし、元請側はきちんと利益を確保したうえで、すべての下請に支払う総工事費用(これを実行予算という)を減額するのである)、職人に支払う給料以外に会社経費(職人の健康保険料の使用者折半分や工事用車両の維持費等)も得られなければ会社を経営していくことができないためおのずから下請で働く職人の給料も減額せざるを得ないのである。また、本文中に週休二日制の導入の遅れが指摘されているが、これにはカラクリがあって建設業界では昔から昼食時の一時間の休憩の他に午前十時頃と午後三時頃に十五分程度の小休憩があるため一日あたりの休憩時間は一時間三十分で、これを実働時間の八時間から差し引くと実際の実働は六時間三十分となる。このことから月曜日から土曜日まで働いても実働三十九時間となるため週四十時間の法的規制もクリアできるので、週休二日制が導入されない根拠(注、元請側の言い分)ともなっている。つまるところ、建設労働における低賃金や不安定就労の問題を一人親方の問題として集約してしまうのではなく、町場、野丁場、新丁場すべての建設労働者に共通する問題として考えていく必要があるだろう。

 話が前後するが、本書の本文中に「1970(昭和45)年以降に野丁場において労働者の外注化が進んだ」との記述があり、この時期に野丁場が発生したとも読み取れる部分があるが、野丁場の発生の時期はもっと古く、明治時代にさかのぼる。1897(明治12)年、当時の本格的建築家教育機関であった工部大学校造家学科(ぞうかがっか)は、西洋建築に習熟した4人の第一期卒業生を社会に輩出したのであるが、その4人とは、辰野金吾(たつのきんご)、片山東熊(かたやまとうくま)、曽禰達蔵(そねたつぞう)、佐立七次郎(さたちしちじろう)であった。彼らによって多くの西洋建築が日本に導入され、ヨーロッパ調のレンガ造りや鉄骨造の建築物が作られたのであるが、従来の木造建築工事の技術も使用材料も異なる建築物であったため町場の棟梁らを引き抜く形で彼らに新しい建築技術を伝授、棟梁であった彼らを下請(「外注」ともいう)とする現在の野丁場の原型が形成された。しかし当時はまだ町場の大工の棟梁の力が強く、引き抜かれた棟梁たちは「町場くずれ」と呼ばれ侮べつされたものの、約130年後には野丁場の建築技術が町場のそれを追い抜いたのは言うまでもない。

 このような歴史的経緯から野丁場ではゼネコンが元請で仕事はすべての下請に発注される「外注化」がなされたのであるが、1970年以前は建設業暴力団等の反社会的勢力の資金源となっていたことから、これを排除するため1970年に建設業法が改正され建設業の開設に際しこれまでの届出制から業種別許可制となったことで不適格業者の排除がなされた。しかし、第二次世界大戦後の建設業界の歴史を振り返ってみても建設業(以下、業界)を指導監督する行政機関である建設省(現、国土交通省以下、国交省)が創設されたのは1948(昭和23)年のことであったことからみても業界に対する行政指導が後追いになってしまったことは否めないといえる(戦前は建設業者に対して指導監督をおこなう行政機関が存在しなかった)。また、さらに問題なのが、業界を指導監督する行政機関が国交省と労働省(現、厚生労働省以下、厚労省)の2つが所管しており、この書で問題にしている業界における低賃金・低所得といった建設労働法制に関わる内容については厚労省の所管となっていて縦割り行政と揶揄(やゆ)される日本の行政機構において一つの業界を二つの行政機関が監督するという特殊性ゆえ、国交省が厚労省のテリトリーである労働や賃金といった部分にまで踏み込んで指導できないし、逆に厚労省が労働や賃金以外の、たとえば、業界全体に対しての法律による処遇改善といった部分では国交省のテリトリーになり、厚労省は手を出すことができない。こういった指導監督に対する棲み分けが結果的に行政指導力を弱め業界全体が野放図になってしまうといえる。

 また、この書では建設業に携わる一人親方の貧困化へのプロセスが詳細に描かれているが一人親方を含め業界全体で働く人々にとって未解決の大きな課題の存在が記述されていないのがもう一つの残念な点である。それは「建設労働者福祉」の問題である。業界には昔から「怪我(けが)と弁当自分(てめえ)持ち」ということわざがあるが、これが今なお続いてるのである。確かに、行政指導の形で一人でも建設労働者を雇用する事業所の「社会保険加入の義務化」や「週40時間労働、週休二日制の徹底」、「労働者災害保険(労災)加入の義務化(一人親方や建設事業所の事業主は労働基準法に規定する労働者ではないため通常の労災には加入できないので、「労働災害保険特別加入」という制度を利用して加入する)」等が推し進められてはきたが、どれをとっても完全に遵守(じゅんしゅ)されていないのが実状といえる。紙面の関係上これらのすべての説明は省くが、労災についてのみ述べると、労災は事業所単位の加入であるため、特別加入であっても自社の作業場以外の場所で怪我をしても労災は適用にならない。建設業の場合、建設現場に出向いて作業をおこなう「出張作業」であるため、万一出向いた建設現場で怪我をした場合は現場がかけている労災の適用を受けるべきであるが、死亡事故を除いて現場の労災は使わせてもらえないことが多い。使わせれば労働基準監督署(以下、労基署)から「(労災発生)要注意作業場」としてマークされ、抜き打ちで臨検と呼ばれる特別査察をうけるようになる(場合によってはその元請が管理するすべての現場が要注意作業場として労基署の監督下に置かれることもある)など現場全体の作業の進行に影響が出るからである。労災を使わせないという行為自体「労災隠し」と呼ばれる重大な法律違反なのだが、下請は元請から仕事をもらっているという立場の弱さから「泣き寝入り」せざるを得ないといえる。

 建設労働において一人親方や他の下請の貧困化を防止するには社会保障のセーフティーネットが必須であるといえる。これは建設労働が仕事の繁閑によって不安定就労にならざるを得ないからである。数年前私が霞が関の厚労省の本省に出向き建設労働者を対象とした社会保障制度制定の有無についてヒアリングをおこなったが同省の見解は(建設労働者)の社会保障は、社会保険、失業、労災といったものを他業種も含めて制定しているので、これ以上のものは必要ないし制定するつもりもないという回答であった。監督官庁からして建設労働の実態把握に及び腰ではセーフティーネットの構築はまだまだ先の話といえよう。

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