【書評】坂越正樹監修、丸山恭司・山名淳編 『教育的関係の解釈学』
(A5、288頁、¥3200+税)
教育学研究 第87巻 第1号 2020年3月
広島大学教育学部・教育学研究科は「教育の西の総本山」と呼ばれた広島高等師範学校および広島文理科大学の伝統を今に引き継ぎ、教員養成と教育学研究の両面で大きな足跡を残してきた。そこで30年以上にわたって教壇に立ち、後年には副学長、理事の要職にあった坂越正樹氏の定年退職を記念して編まれた論集、それが本書である。記念論文集といえば、雑多な論稿の寄せ集めになることも少なくない。だが本書は、坂越氏の博士学位論文のテーマであったヘルマン・ノールの「教育的関係」論を氏が自ら振り返る論稿を起点としながら、同氏の薫陶を受けた人々が「教育的関係」論をどのように受け止め、引き継ぎ、発展させていったのかを見渡せる構成となっている。
全体は16章から成り(各章の最後では「今後の課題と展望」が提示され、簡便な文献案内も付されている)、3つの「コラム」を含む執筆者は総勢29名に及ぶ。そのため各章の概要はおろか、目次を副題まで含めて紹介するだけで紙数が尽きかねないので、ここでは全体の概略をごく簡潔にまとめておこう。評者の見立てでは、本書は大きく二つのパートに分けることができる。
一つは教育思想史的な考察が中心の諸論稿であり、そこではノールの教育的関係論の前史あるいは関連する同時代の思想が論じられる(第1章~第7章)。最初に坂越氏がノールの教育的関係論の限界と可能性をギーゼッケやビースタらの現代的議論とも関連づけて論じた後、その教育的関係論がヴェーニガー、リット、フリットナ―といった当時の精神科学的教育学だけでなく、ヘルバルト、フレーベル、ニーチェ、シュタイナー、ディルタイ、ジンメル、フンボルトらの諸思想とも関連づけて広範な角度から考察される。
もう一つのパートは、教育哲学的な考察を基礎にしつつ、現代的視点から教育関係論を自在に展開させた諸論稿である(第8章~第16章)。第7章の他者論をいわばブリッジとして、そこでは共同体、ケア、すれちがい、言語、教授―学習、道徳教育、メディア、ポスト、トゥルース、教職倫理といったトピックが取り上げられ、ナンシー、アガンベン、ルーマン、ウィトゲンシュタイン、ホール、アドルノらに言及しながら、教育的関係が多彩な視点から問い直される。
とりわけこの後半パートに顕著なのだが、ノールが説いた「成長しつつある人間に対する成熟した人間の情熱的関係」としての教育的関係は、章を追うごとに多様な人間関係、さらには事物を含む世界との関係(陶冶)へと拡張されていく。二者間の教育的関係を問うときでも、「情熱的な関係」の提唱はやがて関係をめぐる冷徹な分析へ転じる。教育に根拠を与えるものとしては教育的関係と並んで(知や真理等の)文化があるが、教育的関係論はその問題とも方々で交錯する。この1世紀近くの間の社会・教育の変化や理論枠組みの変容に伴い、ノール以降に教育的関係論がどのように変貌を遂げてきたのか、さながらその過程を追跡し、多様な視角から総覧するかのようである。
その過程では、教育的関係を理解する方法論としての解釈学もまた変容を強いられる。自然科学に対する「精神科学」固有の方法論として位置づけられたディルタイ流の解釈学は、20世紀末にはプラグマティズムを宣揚するローティらにより、科学を含むあらゆる文化を人間的諸実践・諸関係の所産として読み解いていく学的立場へと一般化されていった。それと軌を一にするかのように、本書でも「解釈学」についての幅広い捉え方が随所で垣間見えるのである。
本書にはさらに興味深い点がある。教育的関係について論じたテクストから、一つの学統を受け継いだ人々の間の教育的関係が自ずと浮かび上がってくることである。教育的関係論についてのテクストが、歴史と伝統の厚みを背景にして一門ともいえる絆で結ばれている執筆者相互の-いわば師弟や門人同士の-教育的関係を暗黙裡に物語っているのだ。そのとき、ノールの教育的関係論、教育的関係論についてのテクスト、実際に編まれている教育的関係のテクスチュアの三者は、見事に調和しているように思われる。ノールは、「愛と権威、信頼と服従に基づく人格的な関係」を説きつつ、その関係の解消を最終的にはめざしていた(第1章)。一方、教育的関係論についての本テクストもまた、二者間の関係から開始されながら、そこから大きく隔たった場所や方向へと拡張されようとしている。さらにそこからは、相互の愛や信頼に支えられながらも-共著論文も単なる分担執筆ではない―権威への服従に甘んじない教育的関係がうかがえるのだ。
星々のように独自の軌道で自らの思想圏を巡っている各人が、実り豊かな不一致をめざして解釈学的な会話を繰り広げ、一つの星座のようなまとまりを見せているとき、そのように結びついた人々の学統は次世代にどのように展開していくのだろうか。読者としては期待を持って見守るしかいないとしても、本書の起点にあった教えるものと学ぶ者の関係をめぐる問いが重要な遺産として継承に値することもまた、本書で再確認できるように思われるのである。