【書評】田中弘允・佐藤博明・田原博人著『2040年大学よ甦れ』

田中弘允・佐藤博明・田原博人著

『2040年大学よ甦れ―カギは自律的改革と創造的連携にある―』

(A5、240頁、¥2400+税)

IDE 現代の高等教育 No.622 2020年7月号 Book Review

山本健慈より

 

そのひとつは、法的規定が変更された教授会の活性化である。田原氏は、「危惧すべきは、法令上の教授会権限の抑制ではなく、大学人自らの『内なる抑制』・自己規制マインドである」といい、福島大学の監事、経営協議会委員の経験から、「ミドルのリーダーの熱意が全学教授会を動かし」を実現した「歴史的快挙」、福島大学での食農学類を教授会活性化の一例として紹介している。

 

本書は、『検証 国立大学法人化と大学の責任―その制定過程と大学自立への構想』に続く三氏共同作業の成果である。前著を今日の国立大学の「苦渋にみちた大学運営への道を許したことへの、ある種の慚愧と悔恨」から著したという三氏が、本書では「持続可能な人類社会と地球環境をめぐる近未来の多用で複雑な解決課題に対応しうる、『知の拠点』たる大学を国民

の手に取り戻す」「道筋をさぐる試み」として著したものである。後継世代である評者は、三氏が「慚愧と悔恨」の情を持ち続け本書の執筆に取り組まれたことに敬意を表したい。筆者は、国大協専務理事として今日の高等教育のステークホルダーを自任する人々の反知性、論理でなく詭弁、倫理喪失の言辞、姿を直接体験してきた。それだけに三氏の人間として、学術人としての姿にリスペクトを表明したい。

 

本書は、大学「改革」新次元として、財界、官邸の改革論をトレースし、財界から「提示された大学『改革』論の主要な論点が、…官邸主導の大学『改革』論に取り込まれ、中教審『答申』を通じて、今後の大学政策のなかで具体化され、関連法の改正や制度改革の指針として現実化する」と鋭く分析する。また新次元の改革の「新司令塔」は、政府の諸政策・事業に横

串を通すために既存のCSTIなどイノベーション関連の組織・機関を横断的かつ実質的に調整する「統合イノベーション戦略推進会議」(2018年7月)であるという。

 

この指摘を私の見解で補えば、2017年秋、CSTIと未来投資会議の合同会議の席上、総理補佐官が「大学改革はスピードが足りない、文部科学省が企画して進めるのではなく、文科省は執行機関としてやってもらい、企画は内閣府や財務省が行う」と発言されたとされ、2018年3月に内閣府イノベーション担当政策総括官のもとに「大学改革担当室」が設置された。この「室」は、19年度末の「国立大学ガバナンスコード」策定に、「閣議決定」を楯に強く関与し続けた。

 

本書は、新次元『改革』への中教審および国大協の対応も厳しく批判する。

中教審答申(2018)は、財界の提言・意見や官邸主導の国家戦略にビルトインされた大学改革論が収斂されたものであり、国大協「高等教育における国立大学の将来像(最終まとめ)」は、「基本的な論点では、中教審『答申』と「軌を一にした」組み立て」であり、「対峙するテーゼの《独自性》が希薄」であり、両者とも「国立大学法人法やこの間の大学政策の検証もないまま、将来像にかかわる論点を並べ立てているだけ」と断じている。

 

本書は、批判でおわらず文科省、国大協等への提案を行っている。「財務省からの一定の『自主性・自律性』を得たはずの文科省が、今度は経産省―官邸ラインの新たな圧力に屈」し「追い詰められる文科省」への提案「それを許したのは、文科省頼りの大学にある」という反省と国立大学の現状が、「自主的服従」を強いられているという認識から、大学と国大協への提案をいくつも提示している。ここではふたつ取り上げる。

 

あとひとつは、「かつてとは異なる役割が期待される」という認識から「国大協は主体性の確立にむけて、自らの課題と役割について抜本的な見直し」を図ると提案する。具体的には、田原氏がかつて総会等で提案したが、「見かけ上の一体化」ゆえに受け入れられなかったという「規模や性格等類似性のある大学同士で組織されるグループ別」の意見交換の場を設置するなどによる「充実した審議」である。この提案のような議論の場は、「審議のまとめ」の策定過程で、また第4期にむけての「国立大学改革方針(19年6月)」をふまえての「徹底対話」への対応としてつくられてきた。

 

本書の国大協への批判、注文、期待は、国大協専務理事の経験から見ても共感するところが多い。本稿執筆を最後に辞任した評者の気持ちを吐露させてもらうなら「追い詰められる文科省」、「自発的服従」を強いられる国立大学の間にあって、私は、「自覚的服従」の姿勢で臨んできた。なぜならば、法の蹂躙も、論理の整合性も意に介さない政府のもとにあっては、まずは「我が国の高等教育及び学術研究の水準の向上と均衡のある発展」(法人法)の核である国立大学というシステムの崩壊を避け、学術へのリスペクトをもつ社会への反転を図る機を待つしかないと覚悟したからである。その意味で、冒頭書いた三氏へのリスペクトを忘れず、『大学よ甦れ』という三氏の強い意思に学び残された人生の時間に臨みたいと思う。

 

加えて法人化後の国立大学長経験者にあっては、三氏にならい学長時代の学内での実践、文科省を含め政策、政治との格闘の記録化を望みたい。

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