【書評】西川芳昭著『食と農の知識論』

『食と農の知識論』

(A5版、128頁、1100円(本体1000円+税))

江頭宏昌(山形大学農学部教授)より

食と農 本質探る視点提示

人工知能(AI)や全遺伝情報(ゲノム)編集など、今日の科学技術の進歩は著しい。それらは社会の問題を解決するのに不可欠だと頭では分かっていても、これまで人類が経験したことのない技術は、どこか不安もつきまとう。

著者は、本書の問題意識の発端は大学院時代に自然科学と人文・社会科学を越境して学ぶ中で、科学・技術が社会の問題を解決するのではなく、科学・技術をどのような制度の中で利活用するかが重要であると気づいたことにあると述べている。そこで社会に科学技術を実装する時に、重要な役割を果たすのが科学技術社会論であるが、それでも課題は残るという。

そもそも食と農は、科学技術が登場する以前からの、人間の営みである。つまり、人間は科学に頼らなくても毎年異なる気象条件でも経験と勘を頼りに作物を栽培しながら生きてきたわけである。

著者が紹介する『合理的な神秘主義』の著者・安冨歩氏は、私たちが不確実な世界を生きられるのは、自らの魂がその能力を備えているからであるという。魂の能力を信じて自らの世界に生きることを可能にする学問的戦略を「合理的な神秘主義」と呼んでいる。

著者は安冨氏の考え方を、ユクスキュルの「環世界」に重ねてさらに考察を深めている。「環世界」とは、生きものが周りの環境から自分にとって意味のあるものを認識し、それらで構築した自世界のことである。

食と農の源である種子採種者の環世界では、種を結ぶ作物の花の美しさがあったり、命をつなぐほっとする感覚があったりする。この感覚こそ人間が作物を育て続ける原動力になってきたのだろう。

食と農を議論する際に、他者は採種者・栽培者の環世界を体感するのは困難でも想像することから出発すべきと著者は主張する。

本書の魅力は、食と農の問題の本質を探る多様な視点と考え方を提供してくれる点にある。中でも環世界の概念を使ったコミュニケーション論は斬新であった。

 

(農業新聞 7月11日掲載)

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