礒崎初仁著『知事と権力 神奈川から拓く自治体政権の可能性』
著者である礒崎初仁は、松沢成文元神奈川県知事が知事として初当選する前からマニュフェストの作成に関与し、当選後も「参与」として登用されるなど、密接な関係性を有した人物である。本書は主なテーマとしている「自治体政権」の内部にまさに「参与」観察した経験を踏まえて記されたものである。500ページを超える大著ではあるが、松沢県政の誕生から終焉まで、インサイダーと言える立場にあったからこそ見える生々しい実態が語られており、臨場感を味わいながら読み進めることができる。
また、本書は二つの意義を持つ書と位置付けられるだろう。一つは日本の地方政治におけるマニュフェストの議論を整理し、さらに「自治体政権」という概念構築を試みた研究書としての意義(主に序章、第9~10章)であり、もう一つは自身がブレインの一人として関与した松沢県政運営の記録書としての意義(主に第1~8章)である。なお、本書は序章〈第1部 挑戦〉(第1章~5章)、〈第2部 発展〉(第6章~8章)、〈第3部 考察〉(第9章、第10章)の構成であり、次に各章の概要を紹介する。
「序章 自治体政権という視点」は、自治体政権という概念の基本的な定義とこれから論じる上での背景と研究の視座を説明している。
「第1章 政治家知事誕生」は、松沢知事が誕生するまでの経緯について、特にマニュフェスト作成し、利用した過程が重点的に記してある。「第2章 マニュフェストと県議会」は、マニュフェストの実施体制を松沢知事の反対派が多い県議会とのかかわりの中でどのように構築したかを述べている。「第3章 松沢県政一期目の政策展開」は、1期目に掲げたマニュフェストの内容を、どのように行政の実施体制に組み込み、個別政策を展開していったのかを示している。「第4期 マニュフェスト進捗評価の試み」は、知事が行政組織の外部に設置したマニュフェスト進捗評価委員会の評価過程を中心に、第1期の松沢知事のマニュフェストの進捗評価がどのようになされていったのかを述べている。
「第5章 松沢県政2期目のスタート」は、各候補者がマニュフェストを出して選挙戦を戦うてんかいとなった2007年知事選挙における松沢知事のマニュフェストの制作過程と2期目の選挙後の政策実行体制整備を記している。「第6章 ローカル・ルールの挑戦」は、松沢知事の二期目のマニュフェストの目玉で掲げた先進条例の制定の約束をもとに県政運営を進めていく中で、多数の関係者や議会との調整・議論を巻き起こした知事多選禁止条例、自治基本条例、受動喫煙防止条例の制作過程を示している。「第7章 県庁マネジメントの改革」は、キャリア選択制哉管理職試験の導入といった人事システムをはじめとする県庁におけるマネジメント改革の実施過程が述べられている。「第8章 松沢県政・その強さともろさ」は、松沢県政が終焉に至る経緯と松沢県政を動かしてきた知事自身、副自治、知事スタッフ、参与、職員組織などの関係主体の考察、並びに松沢県政と議会、利益団体、マスメディアとの関係を考察している。
「第9章 マニュフェスト政治の可能性」では、日本におけるマニュフェスト政治の過程と到達点の考察を行う。マニュフェストの限界・問題点を探った上で、今後の可能性を探っている。「第10章 自治体政権論の試み」は、自治体政権という概念について、政策志向や、職員やブレイン、地方議会銀をはじめとする参与・関係し得る各主体との関係性から整理し、最後に政権交代のあり方の考察を示している。
本書は想定されているそれぞれの読者層にとって非常に示唆的なものとなることに違いない。自治体職員にとっては、強い政治的リーダーシップを発揮しようとする主張とどう対応するか、首長と議会の多数派が対立している状態の中でのどのように振舞うべきか、を始め実務上の課題への対応を考える示唆的なものとなる。地方議会議員やメディア、市民として地方政治・自治体に関心を持つ人にとっては、松沢県政の運営実態、ローカル・マニュフェストの到達点、自治体政権の権力との関係のとり方などを考える機会となる。研究者にとっては、自治体政権という提示された概念をめぐり、批判も含めて地方自治における位置付けを検討すべき材料となる。読み物としての面白さだけでなく、今後の議論を巻き起こすきっかけとなる本書は自治体学に取り組もうとする読者が参照すべき必須のものとなるだろう。
(東洋大学 箕輪允智 評)
『知事と権力』
【東信堂 本体価格3,800円】