森田尚人・松浦良充編著
『いま、教育と教育学を問い直す 教育哲学は何を究明し、何を展望するか』
(A5・344頁・3200円+税)
坂越正樹(広島文化学園大学)より
本書が問おうとしていることは、冒頭編者により、「教育哲学はいまどこへ向かおうとしているのか、これからの教育学や教育研究の進展のなかで、教育哲学はどのような課題と使命を引き受けてゆくのか」と明示されている。本書は、このような問いのもとに、それぞれ独自の視点とアプローチから教育の哲学的研究を展開している執筆者が集い、みずからの研究課題に即して、あらためて教育と教育学のあり方を問い直そうとしたものである。
本書の企画の原型は、2011~2013年の教育哲学会大会(第54、55、56回)の「課題研究」にある。教育哲学会では、例年、全体研究討議の場として学会理事会が「課題研究」を企画しシンポジウム形式で実施している。その「課題研究」の充実を図るため、3年間を通した「課題研究」の共通テーマを「これまでの教育哲学、これからの教育哲学」と設定した。教育に関する社会的関心の高まりによって、教育研究は活性化したが、同時にそれは教育学の拡散をもたらすこととなった。このような状況のなかで、教育哲学は今後の教育学研究のあり方にどのような提言ができるのか、その可能性を考察することにしたのである。全3回の「課題研究」の提案や討議の報告は、学会誌『教育哲学研究』第105、107、109号に掲載されている。しかし本書は、各執筆者の「課題研究」における報告を再録したものではなく、それをもとに出版にふさわしい形に改稿されたものである。執筆者によっては、「課題研究」提案後、さらに研究を進展させ、いままさに取り組んでいる研究成果を本書の趣旨に即して公表してくれている。
本書の構成は以下の通りである。
第1部 教育と教育学の編み直しに向かう教育哲学
第1章 教育学とはいかなるディシプリンなのか―「人間の主体化」という言説をめぐって(森田尚人)
第2章 「教育」を問う―大学にとって「教育」とは何か(松浦良充)
第3章 福祉の精神からの「教育」の誕生―メディアとしての敬具はモンテッソーリの思想に何をもたらしたか(今井康雄)
第2部 歴史を捉え未来を展望する教育哲学
第4章 日本の教育思想における世界市民形成の水脈―世界市民形成論序説(矢野智司)
第5章 国民国家と日本の教育・教育学―変容の中の展望(松下良平)
第6章 記憶の制度としての教育―メモリー・ペタゴジーの方へ(山名淳)
第7章 「国家と教育」における「政治的なるもの」の位置価―教育に政治を再導入するために(小玉重夫)
第3部 教育の実践と技術と格闘する教育哲学
第8章 実践の表象から自己の省察へ―教育哲学と教育実践、その関係性の転換(下司晶)
第9章 教育における技術への問いとパトスへの問い―もろい部分にたつ教育哲学へ(小野文生)
第1部では、まず、多様な領域、視点、方法論を有する教育学がひとつのディシプリンとして存立してきた基盤は何か、の問いが立てられ、そこには「主体としての人間形成」に対する共通の関心があったことがヘーゲルやデューイの思想史的検討から明らかにされる。続いて「教育とはなにか」という教育哲学の根本問題が、大学における教育概念の探究を通して考察され、「ラーニングの思想史」の構想が示される。並行して自己撞着に陥りがちな教育概念の定義づけを避け、教育という対象の特性記述、構造的特定をめざす試みが、福祉との融合状態から教育が分出してくるモンテッソーリの事例を通して展開されている。
第2部では、世界、国家、歴史、記憶といった鍵概念をめぐって論究が深められる。まず、「人間の教育」は本来その教育目的のなかに個人を育てる教育の論理とともに、人類の教育、世界市民形成へとつながる論理を内蔵していたとして、木村素衞を中心に世界市民形成論の水脈を描出し、今日的課題が明らかにされる。ついで、国家の揺らぎが教育の概念や意味にどのような影響を及ぼすのかという観点から、教育・教育学と国民国家の関係が問いにふされ、教育の貧困化、教育の自壊といった刺激的な時代診断にたって近代以前の教育の再生可能性が示唆されている。国家と教育という問題に関しては、教育哲学会は戦後教育学の枠組みへのトラウマから問題設定自体を回避してきたことも指摘されている。現在、政治的な右派左派の二項対立図式に回収されない問題構図が浮かび上がっており、18歳選挙権に具体的に表れているように教育が政治をいかに位置づけるかが問われているとされる。また、記憶と教育の関係に注目したメモリー・ペタゴジーの観点から、集合的記憶概念の構成モデルを明らかにし、学問的考察の枠組みを構想した論攷も第2部に収められている。
第3部では、教育哲学と教育実践との関係が問われている。教育哲学は教育実践と関わることを繰り返し求められてきたが、教育哲学者はどのような根拠をもっていかなる立場から実践を語りうるのか。そのような一方向的「特権的」地位はもはや保ちえず、教育哲学者自身が教育の当事者であり、自らの言語実践として教育を語るしかないとされる。また、教育実践と不可分の技術との関係問題について、教育は技術知に還元されえないこと、そこから溢れ出るノイズやすれちがい、失敗を含みこんだ「パトスの知」によって教育を再定義することが必要であると結論づけられている。
以上、現在の教育哲学会の課題意識、研究関心がそのまま表出された内容となっている。ただ、学会大会「課題研究」の共通テーマに基づく論攷ではあるが、論者の多様な関心に基づき、さらにシンポジウム提案のあとそれぞれに研究を進展させた成果であるため、一読ではそこに通底する基盤が読み取りにくいかもしれない。各回「課題研究」ごとの司会者解説論文があってもよかったのかもしれないが、その点は論者による第1章、また「はじめに」の論述で補完されているので、終章まで読了後、もう一度第1章を見直していただければより理解が深まると思われる。