-
雲の先の修羅
――『坂の上の雲』批判 -
全国民を魅了した大歴史小説に潜む危うさ
司馬氏も自認しているように、『坂の上の雲』は歴史の領域に大きく踏み込んだ小説だった。そこで待ち構えていたのは、日本に漲る、戦後失われかけていた自らの誇りの回復を求める巨大な力――日本の近過去を、事実を無視しても、世界に雄飛した明るい物語として再確認したいという強い願望ではなかったか。書中の、特に日露戦争の実質的原因をなした、韓国問題における事実の隠蔽あるいは美化は、理由・表現はともあれ、そうした国民的願望と明らかに軌を一にしているのだ。NHKTV放映に対峙し、司馬氏が行った歴史上の意識的・無意識的錯誤を、グローバルな視野に立ち徹底検証・批判した力作。付録に、旧日本軍が信奉した「質の量に対する優越」の誤りを明確に示した初の数学的証明を付す。
第1章 『坂の上の雲』の呪縛力
第2章 『坂の上の雲』への疑問
第3章 日清戦争の帝国主義は定義の問題ではなかった
第4章 日露戦争は日本の祖国防衛戦争ではなかった
第5章 空想歴史小説『坂の上の雲』
第6章 他の戦争歴史文学との比較
第7章 アイデンティティの牢獄『坂の上の雲』
第8章 人類の課題としての帝国主義の克服
第9章 「日本人のアイデンティティ」を考えなおす
付録 戦争の数学――百発百中の砲一門は百発一中の砲百門に匹敵しない
第一章 疑似数理への数学的批判
第二章 疑似数理の影響
第三章 疑似数理と『坂の上の雲』